みりんプロデューサーのお話

友人を介して三河みりん 愛櫻の三代目 杉浦嘉信さんにお話をいろいろお伺いする機会があり、写真を共有していただきました。

また掲載許可をいただきました。

改めて御礼申し上げます。

杉浦さんは若い頃から事業を継ぐことに何の興味も持っていませんでした。

10代の頃から、父親からみりん事業を継ぐようプレッシャーをかけられていて、嫌でたまらなかったのです。

家に帰りたくない一心で、とある会社に就職したそうですが、3年目に家族からのプレッシャーに負け、会社を辞めてご家業に戻られました。

実家で働きはじめると、父親の経営がうまくいっていないことに気がつきます。

餅米、麹米、醸造アルコール、糖類でみりんを造っており、みりん製造業者としての特徴がないため、これは良いみりんではないと感じはじめたのです。

37歳になった時に父親から事業を受け継ぎ、社長に就任しましたが、会社は利益があまりなかったので買い手と交渉して値上げしてもらおうとしましたが、それならもう取り扱いませんと断られ、事業としては売上が半分にまで落ちこみ、赤字に転落。どうしよう、このままでは生きていけないと思ったそうです。

ある日、嘉信さんが2階の使われていない倉庫に行くと、45歳で亡くなった祖父が残した本みりんのレシピを記したメモを見つけました。

そこには、もち米、麹米、焼酎の割合が書かれており、祖父が使っていた材料がいかに高品質なものだったがわかりました。そこで、祖父のレシピで本みりんを復活させることにしました。

材料は高級米へとすべて変え、祖父のレシピを使い、1年後、出来上がったみりんは、驚くほどの味わいでした。

他の純米本みりんよりもコクがあり、甘みが強い。

しかし、ろ過していないため、色が黒褐色で、買い手からは敬遠されました。

色が濃いと古く見えると言われてしまいました。また、原料代が高いので、安く売ることもできないし、売れなかったのです。

本みりんは3年間もタンクで保存されたまま。

嘉信さんは、こんなに長い間保存していたら、味ももうおいしくないだろうと思いましたが試しに飲んでみると、色は黒に近いが、驚くほど甘くておいしく、うま味が濃くて絶品な味わいがしたのです。

当時、黒みりん自体は非常に珍しいものでしたが、嘉信さんはあきらめませんでした。

食品展示会に持参したみりんを多くの人に試飲してもらい、甘くておいしいと評判になり、買った人はまたリピーターになってくれました。

祖父に見守られ、天国から励まされていると感じたのは、飛騨高山の商店から昔の看板を見つけたと連絡があったときでした。

その看板にあるように現在では、ブランドロゴに「愛櫻」の文字を使用しています。

今ではミシュランのお店でも愛櫻じゃないと、と言われるまでになり、高級な和食屋やウナギ屋さんで取り扱ってもらっているそうです。

赤字経営から黒字経営へ転換し、日々みりんチャンネルで発信を続けている嘉信さん。

これからもおいしい本味醂を作り続けてください。